モリシにひとこと(賀川浩氏)
「辛い34節の思いをふり切って非凡の才を見せたベテランに喝采」
リーグ最終戦の辛い結果から1週間後、鳥取での天皇杯5回戦でジェフ千葉に完勝した試合は、まことにみごと…。チーム全体の“やる気”はすばらしかったが、なによりモリシ自身が先頭に立って、得意の飛び出しと、そのあとの展開で、どしどしチャンスを作ったこと、そして先制点を決めたことで、オシム監督に“うちはスパーリングパートナーみたいだ”と言わせる試合となった。
この試合をテレビでたっぷり楽しみながら、この選手は、サッカーの本筋を知り、自分の体で表現できるのだと、改めて感服した。
お世辞でもなんでもなく、今の日本のサッカーでモリシとアキの才能は特異な存在だと思う。アキのことは別に語るとして、私がモリシを高く評価するのは、“得点力”を持っていること。守りのカバーリングや、チャンスメークのランと共に、相手の一番弱いところへ入っていく巧さといった能力は世界でも、そう簡単に見つからない、と思っている。
ことしは、さまざまの条件が上手く噛み合って、チーム力が整備され、全員の頑張りで無敗記録が伸び、リーグのトップに立って最終節を迎えることができた。守りの軸として33試合を戦い抜いたブルーノ クアドロスを欠くというハンディがあり、2-1のリードを守れなかったことを多くのファンも解説者も残念がったが、私は、アキ・モリシという非凡の攻撃ペアを持ちながら、相手が前掛かりになった試合で3点目を取れなかったことが口惜しかった。いや3点目を取れるチームになっていなかったのが残念だった。
12月10日の鳥取の試合は、モリシが先頭に立って、ゴールへの強い意欲を表に出す試合をしてくれた。たまたま相手が“小成”にあまんじたジェフであったにせよ…である。
サッカーマガジンにも記したように、ここ何年か、モリシはチーム全体のバランスへの気配りから、自分の持っている「得点力」に封印していた感がないでもない。リーグ後半はそれがとけたようで、自分の得点も、得点への絡みも増えたのがチームの連勝につながった大きな原因だろう。
33歳でよくやる…などという人がいるが、釜本邦茂は36歳でリーグ優勝の中心となったし、西ドイツのフリッツ・ヴァルターは、34歳で54年ワールドカップ優勝のキャプテン、38歳の58年大会でも活躍した。リーグ後半にまた上手になったなと思う場面を何度も見た。この次の試合でも、またまた、良い守りと共に得点に絡むモリシのゴースト・プレー(幽霊のように突然あらわれる)を見せて欲しい。
賀川 浩(かがわ ひろし)氏のプロフィール
- 大正13年(1924) 12月29日神戸市に生まれる
昭和12年(1937) 神戸市雲中小学校卒
昭和17年(1942) 神戸一中卒(現神戸高校)
昭和17年(1942) 神戸商業大学予科入学(現神戸大)
昭和19年(1944) 6月 陸軍特別操縦見習士官
昭和20年(1945) 4月 第413飛行隊(特別攻撃隊)
昭和20年(1945) 10月 終戦 復員
昭和21年(1946) 神戸大学中退
昭和27年(1952) 産経新聞社に入社
以来 スポーツ記者
昭和39年(1964) オリンピックサッカー 大阪トーナメント開催
昭和40年(1965) 神戸少年サッカースクール創設
昭和45年(1970) 社団法人神戸フットボールクラブ設立の創立発起人、創設メンバー
昭和49年(1974) サンケイスポーツ編集局長
昭和59年(1984) 大阪サンスポ企画社長
平成2年(1990) 定年退職
平成2年(1990) フリーランスの記者となる - 神戸一中(現神戸高校)、神戸商大(現神戸大学)、大阪サッカークラブなどの黄金期に選手として活躍。全国大会優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝など。若いころからサッカーの指導について独特の考えを持ち、後輩には日本代表を生んだ。現在フリーのスポーツライター、サッカー記者、テレビコメンテイターとして現役で働く最古参。
- 主な著書:「ストライカーの技術講座」(サッカーマガジン)
「ワールドクラスの技術」(ベースボールマガジン社)
「釜本邦茂・ストライカーの技術と戦術」(講談社)
「釜本邦茂・ストライカーの美学」(東方出版)
「ボールを蹴って50年史」(神戸一中 サッカー史)
「ワールドカップ全史」(ブライアン・グランヴィル著:監修)
「サッカー日本代表世界への挑戦」(新紀元社)
「ワールドカップストーリー」(ブライアン・グランヴィル著:監修)(新紀元社) - 「賀川浩の片言隻句」はこちら>>