モリシにひとこと
【特別企画】「団子3兄弟の母」さんからモリシへ
何から書けばいいでしょうか。
そう、初めてモリシのプレーを生で見たのは2001年11月。降格が決まった次の試合でした。長男がセレッソ大阪サッカースクールに入って「スクール生招待デー」があり、せっかくだからと初めてのサッカー観戦に行った時。それまではサッカーは大好きやったけど、スタジアムに行く機会がないまま結婚・出産で3人の男の子が生まれて、テレビでのみの観戦だったんです。
モリシの事はもちろん凄い選手だと思っていました。でも、生で見たモリシは本当に凄くて、「なんじゃあの動きはっ!」と目を奪われました。チームも降格の雁字搦めから解放されて、素晴らしい動きと展開。「これが降格が決まったチームなん?!」と信じられない気持ちでした。攻撃は分厚く、一人がダメでも後ろからどんどん選手が出てきて、止まらない波状攻撃!
この試合を見るまでは好きなチームはなく、スクールでセレッソを選んだのも、練習場が近かった事、元プロのコーチ(竹花コーチでした)が直接指導してくれる事、この理由だけでした。
特にモリシのプレーは凄まじく、一瞬目を離しただけでもうどこに居るのか分からなくなり、「あっ!あんなとこに居てる!」「あれっなんでここに居るの!」「うわっ!あのドリブルなんか変!」「抜け出した!!」ほんとに驚きの連続でした。
その日、私は保育園年長だった長男・年少だった次男・まだ1歳6ヶ月ほどだった三男を連れて来ており、「ま、行ってみるか〜」位の感覚だったので、当然グッズなんて一つも持ってなくて。でも、ハーフタイムには居ても立ってもいられなくなり、念のためにと持参していた1万5千円の資金のほとんどをグッズ購入に使ってしまったほど衝撃的でした。買った物は、モリシのプレイヤーズTシャツ、モリシのタオマフ、セレッソのSフラッグ3本、Mフラッグ1本、メガホン2本…等など。Tシャツはもう、モリシのが着たくて着たくて速攻着替えました。モリシシャツ着てタオマフ首に巻き、手にはメガホンとフラッグ。スタに来た時とは全く別人の格好になってました。
後半はそれで思いっきり応援!よく使われる表現ですが、神出鬼没のウソみたいなプレーをするモリシに一目惚れでした。その試合から天皇杯を含めてホームは全て通いました。そして、決勝まで7連勝。
決勝戦はお正月。旦那に頼み込んで旦那の実家に行かないといけなかったのを子供を託して、心斎橋のセレッソを応援するバーまでパブリックビューイングに行きました。誰も知り合いが居なくて、初めてのお店を探して。
2002年はホームの2/3の生応援。2003年からはホーム皆勤賞。+近場のアウェイ参戦。2005年からはアウェイの1/3の参戦。2006年はアウェイ2/3の参戦。
初観戦の日から6年。私はモリシのお陰ですっかりセレッソなしでは生きていけない女になってしまいました。(笑)
私は2001年の優勝を逃した試合を一緒に共有できていません。それが悔しくて仕方がないです。2004年の残留を決めた新潟戦は忘れられません。人前であんなに声を上げて泣いたのは初めてでした。2005年の優勝争い。あんなに辛い苦しい思いをしたのは初めてでした。2006年の降格。涙が出ないほど放心したのは初めてでした。
セレッソとモリシがくれた、私の宝物。モリシが大阪でプレーしてくれていたから出会えた感情、時間、仲間達。何物にも代え難い輝く宝物。だから、モリシには最高の想いをしてもらいたい。本当はアキと一緒に優勝カップで牛乳を飲ませてあげたかった。アキと一緒に優勝のお皿で広島焼きを食べさせてあげたかった。力になってあげられなくて無力過ぎる自分がイヤになった事もあった。でも、モリシは現役で走り続けてくれている。今はちょっとオーバーホール中やけど、きっと長居のピッチに戻りまた相手選手をイライラさせて振り切って、『俺ごとゴール!』を決めてくれる!
そして今度こそ、一緒に優勝しよう。モリシは日本の、いや、世界のサッカー界の宝。今までモリシから貰った、万分の一のお返しもできないだろうけど、これからも一緒に走ろう!ゴールしよう!飛ぼう!モリシが大好きやから、一緒にJ1で優勝しよう!
モリシはまだ進化する。アキが待ってる。だから私もがんばる!モリシが嬉し涙にむせぶ姿を見るために!!