|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
powered by
Copyright © 2003 - 2008
Morishima Hiroaki
All rights reserved.
|
|
|
●生年月日:1972年4月30日生まれ ●出身:広島県
●身長/体重:168cm/62kg
●血液型:A型
●ポジション:MF、FW
●好きな言葉:心・技・体
●尊敬する人:木村和司 |
|
経歴
大河(おおこう)FC(広島/小中学校時代)
→東海大第一高校(1988)
→ヤンマー(1991)
→セレッソ大阪(1994〜2008) |
主なタイトル
1995年 サントリーシリーズ最優秀新人賞
1995年 Jリーグベストイレブン
1999年 JリーグたらみオールスターサッカーMVP
2000年 1stステージ優秀選手賞
2000年 Jリーグベストイレブン |
Jリーグリーグ戦初出場
1995年3月18日 対サンフレッチェ広島(広島ビッグアーチ)
Jリーグリーグ戦初ゴール
1995年3月25日 対清水エスパルス(草薙陸上競技場)
Jリーグ出場記録
J1:318試合94得点
J2:43試合12得点
|
Jリーグリーグ戦 |
Jリーグカップ戦 |
天皇杯 |
1995年 |
50試合11得点 |
−試合 −得点 |
2試合 0得点 |
1996年 |
26試合 9得点 |
14試合 4得点 |
1試合 0得点 |
1997年 |
21試合10得点 |
0試合 0得点 |
2試合 2得点 |
1998年 |
29試合18得点 |
0試合 0得点 |
1試合 3得点 |
1999年 |
30試合12得点 |
4試合 1得点 |
2試合 1得点 |
2000年 |
25試合15得点 |
4試合 0得点 |
0試合 0得点 |
2001年 |
22試合 3得点 |
0試合 0得点 |
5試合 2得点 |
2002年 |
37試合12得点 |
ー試合 ー得点 |
4試合 2得点 |
2003年 |
28試合 4得点 |
4試合 0得点 |
5試合 1得点 |
2004年 |
28試合 3得点 |
5試合 0得点 |
1試合 1得点 |
2005年 |
33試合 6得点 |
8試合 1得点 |
4試合 2得点 |
2006年 |
26試合 3得点 |
7試合 1得点 |
1試合 0得点 |
2007年 |
5試合 0得点 |
ー試合 ー得点 |
0試合 0得点 |
2008年 |
1試合 0得点 |
ー試合 ー得点 |
0試合 0得点 |
|
日本代表 出場記録
64試合/12得点
※ 日本代表初キャップは1995年5月21日 キリンカップ 対スコットランド戦(広島ビッグアーチ)スタメンで出場、△0−0
※ 国際Aマッチでの初ゴールは、1996年5月29日 キリンカップ 対メキシコ戦(博多の森球技場)○3−2
※ ワールドカップでの初ゴールは、2002年6月14日(金) 対チュニジア戦(大阪長居スタジアム)後半8分。○2−0 |
小学校2年の時、友達の影響でサッカーを始め、地元・広島の名門である大河FCに加入。
当時から小柄だったが「背が小さいならそれを活かしたプレーがある。相手のいやがるようなプレーを考えてみなさい」という当時のコーチの言葉が、現在のプレースタイルにつながっている。だから、「背が高かったらよかったのにと思ったことは一度もない」(モリシ)。
中学生のとき、大河FCの大先輩である木村和司さんのプレーを間近で見て以来、目標にしてきた。その木村さんから贈られたのが「心・技・体」という言葉だった。1995年の冬、待望のJリーグデビューを果たす直前だった。プロサッカー選手として必要不可欠な要素である「心・技・体」はそれ以来モリシの座右の銘になった。
高校は、静岡県の東海第一高校に進学。いわゆるサッカー留学だった。当時はまだJリーグはなかったが、モリシには「プロになりたい」という気持ちはあった。卒業後、慕っていた先輩がいるヤンマーに入った。
ヤンマーでは、早くから将来を担う選手として注目されていたモリシ。1994年、チームは「セレッソ大阪」になったのをきっかけに、モリシを取り巻く環境も変わった。同年、JFLで優勝したセレッソ大阪は翌1995年にJリーグ(現在のJ1)に昇格。
1995年はモリシにとっての大きな転機になった。日本代表に初選出されると同時に、レギュラーに抜擢され、加茂ジャパンにとって不可欠の存在になった。1998年にはワールドカップフランス大会のメンバーに選出され、1試合に出場。
その一方で、セレッソ大阪でも中心選手としての活躍が続き、1999年から2年間はキャプテンを務めた。特に2000年1stステージには、リーグ優勝まであと一歩に迫ったチームを引っ張りつづけた。
代表のユニフォームを身につけることのなかった1999年を越えて、2000年6月のハッサンII世杯のフランス戦では1ゴールを挙げ、見事に復活。同年のアジアカップ優勝、さらに2001年のコンフェデレーションズカップ準優勝にも貢献した。2002年開催されるワールドカップ出場も視野に入ってきた。
モリシの最大の目標は「セレッソ大阪のリーグ優勝」だ。セレッソのユニフォームを着て優勝カップを掲げたい――夢の実現のため、日々トレーニングに励んでいる。
2001年6月 |
|