森島寛晃略歴
- 生年月日:1972年4月30日生まれ
- 出身:広島県
- 身長/体重:168cm/62kg
- 血液型:A型
- ポジション:MF、FW
- 好きな言葉:心・技・体
- 尊敬する人:木村和司
- 選手歴:大河(おおこう)FC(広島/小中学校時代)
→東海大第一高校(1988)
→ヤンマー(1991)
→セレッソ大阪(1994〜2008) - 指導歴:モリシアカデミー(2008〜)
セレッソ大阪サッカースクール「エリートクラス」監督(2012〜) - 現職:セレッソ大阪アンバサダー
主なタイトル
- 1995年 サントリーシリーズ最優秀新人賞
- 1995年 Jリーグベストイレブン
- 1999年 JリーグたらみオールスターサッカーMVP
- 2000年 1stステージ優秀選手賞
- 2000年 Jリーグベストイレブン
- 2009年 Jリーグ功労選手賞
Jリーグ出場記録
J1:318試合94得点 J2:43試合12得点
- Jリーグ リーグ戦初出場:1995年3月18日 対サンフレッチェ広島(広島ビッグアーチ
- Jリーグ リーグ戦初ゴール:1995年3月25日 対清水エスパルス(草薙陸上競技場)
Jリーグリーグ戦 | Jリーグカップ戦 | 天皇杯 | |
---|---|---|---|
1995年 | 50試合11得点 | -試合 -得点 | 2試合 0得点 |
1996年 | 26試合 9得点 | 14試合 4得点 | 1試合 0得点 |
1997年 | 21試合10得点 | 0試合 0得点 | 2試合 2得点 |
1998年 | 29試合18得点 | 0試合 0得点 | 1試合 3得点 |
1999年 | 30試合12得点 | 4試合 1得点 | 2試合 1得点 |
2000年 | 25試合15得点 | 4試合 0得点 | 0試合 0得点 |
2001年 | 22試合 3得点 | 0試合 0得点 | 5試合 2得点 |
2002年 | 37試合12得点 | ー試合 ー得点 | 4試合 2得点 |
2003年 | 28試合 4得点 | 4試合 0得点 | 5試合 1得点 |
2004年 | 28試合 3得点 | 5試合 0得点 | 1試合 1得点 |
2005年 | 33試合 6得点 | 8試合 1得点 | 4試合 2得点 |
2006年 | 26試合 3得点 | 7試合 1得点 | 1試合 0得点 |
2007年 | 5試合 0得点 | ー試合 ー得点 | 0試合 0得点 |
2008年 | 1試合 0得点 | ー試合 ー得点 | 0試合 0得点 |
日本代表 出場記録
- 64試合/12得点
日本代表初キャップ
- 1995年5月21日 キリンカップ 対スコットランド戦(広島ビッグアーチ)スタメンで出場、△0-0
国際Aマッチでの初ゴール
- 1996年5月29日 キリンカップ 対メキシコ戦(博多の森球技場)○3-2
ワールドカップでの初ゴール
- 2002年6月14日(金) 対チュニジア戦(大阪長居スタジアム)後半8分。○2-0
モリシとは?
小学校2年の時、友達の影響でサッカーを始め、地元・広島の名門である大河FCに加入。
当時から小柄だったが「背が小さいならそれを活かしたプレーがある。相手のいやがるようなプレーを考えてみなさい」という当時のコーチの言葉が、現在のプレースタイルにつながっている。だから、「背が高かったらよかったのにと思ったことは一度もない」(モリシ)。
中学生のとき、大河FCの大先輩である木村和司さんのプレーを間近で見て以来、目標にしてきた。その木村さんから贈られたのが「心・技・体」という言葉だった。1995年の冬、待望のJリーグデビューを果たす直前だった。プロサッカー選手として必要不可欠な要素である「心・技・体」はそれ以来モリシの座右の銘になった。
高校は、静岡県の東海第一高校に進学。いわゆるサッカー留学だった。当時はまだJリーグはなかったが、モリシには「プロになりたい」という気持ちはあった。卒業後、慕っていた先輩がいるヤンマーに入った。
ヤンマーでは、早くから将来を担う選手として注目されていたモリシ。1994年、チームは「セレッソ大阪」になったのをきっかけに、モリシを取り巻く環境も変わった。同年、JFLで優勝したセレッソ大阪は翌1995年にJリーグ(現在のJ1)に昇格。
1995年はモリシにとっての大きな転機になった。日本代表に初選出されると同時に、レギュラーに抜擢され、加茂ジャパンにとって不可欠の存在になった。1998年にはワールドカップフランス大会のメンバーに選出され、1試合に出場。
その一方で、セレッソ大阪でも中心選手としての活躍が続き、1999年から2年間はキャプテンを務めた。特に2000年1stステージには、リーグ優勝まであと一歩に迫ったチームを引っ張りつづけた。
代表のユニフォームを身につけることのなかった1999年を越えて、2000年6月のハッサンII世杯のフランス戦では1ゴールを挙げ、見事に復活。同年のアジアカップ優勝、さらに2001年のコンフェデレーションズカップ準優勝にも貢献した。2002年開催されたワールドカップではセレッソのホーム・長居スタジアムでゴールを決めた。
2007年の4月に原因不明の首痛で戦線を離脱。長いリハビリ生活を送るも復帰の目処が立たず、2008年10月31日に引退を発表。
モリシの最大の目標は、引退した今も変わらず「セレッソ大阪のリーグ優勝」だ。セレッソのユニフォームを着て優勝カップを掲げるという夢は成し遂げられなかったが、新たな夢に向かって一歩一歩進んでいる。